
どんな話?
AさんとBさんは、電電公社小倉電話局で働く恋人同士。ところがある日Aさんは、あろうことか、Bさんに薬を飲ませて体の自由を奪った上、乱暴してしまいました。
怒ったBさんはAさんに償いを求め、弁護士立会いのもとで、200万円の贈与と、もしお金が工面できない場合は退職金で支払うことで合意しました。Aさんはお金を工面できなかったので、電電公社に「私の退職金のうち、200万円分はBさん(の弁護士)のものですよ」と通知しました。
ところがやっぱりAさんの気が変わって、電電公社に「Bさん(の弁護士)に退職金200万円分を渡すのは取り消します」と通知して、退職金の支払をお願いしたため、電電公社はAさんに260万円を支払いました。驚いたBさんは、電電公社に対し、「Aさんの退職金は自分の権利だ、退職金を自分に支払え」と、裁判を起こしました。
論点
通知を取り消したとはいえ、退職金を受ける権利はすでにBさんにあります。権利のないAさんに退職金を支払う法的根拠が最大の争点です。1、2審とも、Bさんが敗訴。理由は、賃金の「直接払いの原則」でした。
判決は?
判決はいくつかのフェーズに分かれています。箇条書きのほうが分かりやすいので、以下の通り整理します。
1.退職金の支払いが法律(国家公務員等退職手当法)にきちんと定められている以上、退職金=賃金である。
2.賃金には直接払いの原則(労働基準法第24条第1項)が定められている。
3.退職金を受ける権利(賃金債権)を譲渡すること、そのものについては、無効ではない。
4.しかし、賃金の直接払いの原則は罰則もある強い規定だから、賃金債権を譲り受けたからと言って、退職金をBさんに渡すことはできない。もちろん支払いを求めることもできない。
となり、Bさんの敗訴が確定しました。
いのしし社労士の解説
私は、当初、直接払いの原則があるから「当たり前じゃん」と感じました。しかしよくよく判例を読めば、「賃金債権の譲渡」と「直接払いの原則」と、どっちを優先するべきなのかは考え込んでしまうところです。そもそもAさんが悪いことをしたその賠償で、賃金債権をBさんに渡したのです。その債権の具現たる退職金を悪いことをしたAさんに支払うことがどーなのよ?と、みなさんも思われるのではないでしょうか。判決は賃金債権を譲渡すること自体は有効であると判示していますが、譲渡が有効なのにそのお金をBさんが直接貰えない、というのは矛盾していると私は思います。
立法で賃金債権譲渡を無効とするか、双方合意に基づく契約行為なのだから、直接払いでなくても、その違法性は阻却されると解釈した方が、個人的にはすっきりします。しかしながら判例も学説も、賃金債権譲渡は有効で、かつ賃金の直接払いを優先するということで理論的決着を得ているということですから、罰則付の強行規定がいかに強いかということを示した判例とも言えそうです。
しかしBさんへの賠償はどうなったのか、気になるところですが、その先の話は見つけることはできません。。。
関係条文
国家公務員等退職手当法、労働基準法第11条、第24条第1項、民法466条第1項
学説など
賃金債権譲渡について、労基法24条の立法趣旨や賃金債権の一身専属性から違法無効とする説(判決)、譲渡が取立委任の実体を持つ場合に限り違法という説、双方が合意の上だから、違法性が阻却されているという説、直接払いの原則は、第三者に任意譲渡されれば、第三者に対して支払われることを禁止していないとする説(判決)、労使協定による賃金控除を類推適用し、適法とする説、本判決の解釈について、履行方法を定めた負担付譲渡説、労働者が譲受人の代理人説、債権譲渡は使用者に対する関係では効果がないとする説、取立権能が労働者に残るとする説など。
ちなみに、民事執行法に基づく裁判所の賃金差し押さえは、直接払いの原則に優先します。
出典
「別冊ジュリスト労働判例百選第8版より」