小野運送事件

小野運送事件ってどんな話?

小野運送の従業員であるAさん。仕事中に某運輸会社のBさんの車に衝突してしまいました。Bさんも仕事中で、怪我は重傷でした。小野運送は、従業員が仕事中に起こした事故なので、Bさんに対して損害賠償責任を負うことになりました。

小野運送はBさんと話し合い、12万円程度の示談で片をつけることができました。その際小野運送とBさんは「今回の示談金で、それ以外の請求する権利は全部、放棄します」という内容の示談書を取り交わしています。
 
怪我をしたBさんの会社は、労災に加入していました。Bさんは、仕事中の怪我だったので、示談書を添えて労働基準監督署保険給付の申請に行きました。係の人は、計算した保険金(約42万)から、示談金の約12万円を差し引いてBさんに支給しました。
 
さて、この事故の原因は何でした?AさんがBさんに衝突したから起こったんですよね?そこで、労基署は、この事故の原因者であるAさんの会社の小野運送に、「事故の原因はあんたのところの従業員なんだから、Bさんに支給したお金を返してね!」と言ってきました。驚いたのは小野運送です。
 
Bさんとは、すでに示談して事故は解決したはず。だのに何で労基署にお金を払わないといけないの?と支払いを拒否。そこで労基署は小野運送を訴えました。

小野運送事件の論点

事案に即して言えば、すでにお互いに示談して損害賠償が終わってしまった事故について、(1)労災給付の権利がまだ生きているか、そして、(2)その権利に基づいて、国が事故原因者に対して給付金の求償請求ができるか、が最大の論点です。しかしその根底には(1)労災補償における労働者保護理念(国勝訴)、(2)私的自治原則下での示談成立の尊重(小野運送勝訴)、のどちらを優先するか、があります。

第1審は国が勝ち、第2審では小野運送が勝ちました。その際、Bさんはこの事故については示談して終わっているのだから、本来、労災給付金をもらうべきではなかったのではないか、として、国がBさんに対して、給付金を返還すべきでは、という考え方を示唆しています。

小野運送事件の判決は?

最高裁は小野運送の主張を認め、国の上告を棄却しました。そもそも労災制度は、災害をこうむった者の損害を填補することが目的なのだから、当事者同士が話し合って示談してしまえば、請求すべき債権(この場合はBさんのAさんに対する損害賠償請求権=労災受給権)は当然、無くなることになると最高裁は判断しました。

すなわち、今回のケースでは、国はAさんに労災給付をする必要がなかったということで、裁判所は当事者同士の話し合いによる解決を優先する判断をしています。ただし、実際の損害や労災給付の金額と、示談して得た金額に大きく差が出ないよう、(1)労災制度の認識を深め、(2)保険給付がすばやくなされ、(3)示談が本当に当事者間の自由意志でなされたものかどうか、を厳しく認定するよう、国に求めました。(最高裁昭和38年6月4日第三小法廷判決)

いのしし社労士@霞雲の介の解説

非常に理解が難しい判例でした。要するに労災保険の給付の前に示談が成立したら、労災給付は受けられないということですね。
 
しかし示談にもいろいろあります。例えば事故によって、(1)治療費、(2)怪我などで休業した場合の賃金、(3)精神的な打撃による慰謝料、(4)見舞金、などが発生する可能性があります。示談書で示されたお金の性質がどれに該当するかは、その名称ではなく実態で判断されます。
 
そういう知識のない経営者や労働者が独自に交わした示談が、労災給付を左右するというのはある意味理不尽で、裁判所もその点では示談の認定を厳格化するように指摘しています。したがって行政解釈・学説の多くも、この判例のように「私的自治原則」を優先しながらも、可能な限り「労働者保護」が図れるよう、実務上対応するという方向になっているようです。
 
実際も、労働基準監督署で労災申請をするときに、窓口では「示談する前に必ず相談してください」と注意を受けます。この判例の重要性がうかがえる話ですね。

関係条文

労働者災害補償保険法第12条の4各項(第三者の行為による事故)、同第12条の5第2項(保険給付を受ける権利の保護)、民法第96条(詐欺又は強迫)、同第398条(抵当権の目的である地上権等の放棄) 、同第437条(連帯債務者の一人に対する免除)、同第695条(和解)、刑法第246条(詐欺))、労働基準法第83条(補償を受ける権利)

学説など

私的自治原則の優先と労働者保護理念の対立の観点から、諸説が出されています。給付義務免除について、第三者と政府を「不真性連帯債務者とみな」し、民法437条の免除規定を援用する説、労災補償が労働基準法の最低基準であることを強調する説、労基法、労災法の受補償権・受給権譲渡禁止事項を指摘する説、労使間での労災の示談による災害補償義務の消滅は許されないとする説、示談金未受領段階での補償給付は妨げられるべきではないという説、災害当事者は示談により国の法律上の正当な利益を侵し得ないとする説、労災補償と損害賠償の調整を現実的・機能的重複の範囲で認めることを基本とする説、など多数。

参考文献

「別冊ジュリスト労働判例百選第7版」