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   「あなたのプライベートブランド宣言」

いのしし社会保険労務士事務所所長 
社会保険労務士 中村 雅和

 
 あまたあるホームページの中から、当事務所のサイトをお選びいただきましてありがとうございます。

 私は、2008年4月に長年勤めた公務員を退職し、42歳で社会保険労務士を開業しました。人からは
「公務員なのにもったいない」とか「なぜ安定した仕事を辞めてまで「社会保険労務士」になったの?」とよく聞かれます。

 あなたの貴重な時間をすこしいただいて、私がなぜ社会保険労務士になったのか、あなたに何をして差し上げられるのか、お話ししたいと思います。

 中学、高校、大学時代は特に語るべき何かを持っていません。学生時代はどちらかというと流されるままに、学力に応じた進路を選んだだけですから。

 89年(平成元年)、いよいよ就職となり、周りの友人の公務員志望が多かったこともあり、
「民間企業=営業ノルマ」と考えていた私は、9時5時ですぱっと仕事が終わる(と思っていた)公務員の道を選びました。

 転勤がない地方公務員が望みだったのですが、残念ながら
国家2種以外はすべて不合格となりました。人事院名簿に登載されると、希望の省庁の説明会の情報を得て、官庁訪問します。

 私は人事院搭載順位が低かったのですが、幸い、(当時)
総務庁九州管区行政監察局にお世話になることになりました。行政監察局は、特定の行政分野を受け持つというよりは、各官庁が行っている行政のお目付け役です。

(もう読み飽きたという方はこちらから)

 当時、野次馬根性の私にはぴったりの職場だ!と喜んだ覚えがあります。 実際、行政監察局の仕事は面白いものでした。

 3ヶ月ごとに監察対象が変わり、
今日は厚生省、明日は建設省、来月は海上保安庁などと、いろいろな行政分野を事前勉強して調査を行い、最後に報告書を提出するというものでした。

 しかし2年目のある日、駅の階段でくしゃみをした拍子に
「ぎっくり腰」を起こしてしまい、長期入院を余儀なくされました。同期から遅れることは確実となり、急速にテンションが下がる私。

 転勤もあるし、福岡に10年ぶりに球団が帰ってくるし。

 そこで「もう転職しかない!」と思った私は、にわかに地方公務員の勉強を始め、あまた受けた中から、唯一合格した
「宗像市役所」に、91年1月からお世話になることになったのです。

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 採用当初、私は「5年を区切りにして、やりたいことが見つかったらさっさと退職しよう」と思っていました。

 仕事自体はやりがいもあり、面白かったのですが、「面倒なことは逃げる」、「やらなくてすむことはできるだけやらない」がモットーだった私は、当時、
濃密な人間関係が面倒だと思う性格でした。

 職場では特に友人付き合いとかはせず、仕事が終わったらさっさと帰宅して、水泳に行ったり、エアロビクスに行ったり、映画を見たり、テレビゲームにはまったりと、20代らしい軽さを見せつけていました。

 それが変わったのが、93年、ユリックスという職場に行ってからです。そこは、舞台あり、体育館あり、ウェルネス施設ありのいわゆる「総合公園」で、当時最先端のパソコン
「マッキントッシュ」が使われ、そこで働く仲間も生き生きとしていました。

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 役所生活3年の27歳にすぎない私に、その職場は、担当分野をすべて任せてくれました。前の職場でも「戸籍の附表」や「印鑑証明」の電算化をしていましたが、ここでも
会館管理システムの導入を任されました。

 システム導入を経験した人なら分かると思いますが、コンピュータの導入はすごいパワーが必要なのです。
業務の細部にわたり分析をして、最適な業務フローを再構築して、それをSEさんと打ち合わせて、システムのカスタマイズをしていくのです。

 エキサイティングな仕事を任せられた私は、いつしか「面倒から逃げる」という性格から、
「頼まれたことは出来る限り何でも引き受ける」という考えに変わっていきました。

 次の職場は「水道課」でした。ここが一番長く、95年から8年間いました。
「何もすることがない、旧態依然とした仕事で退屈だよ」と言う方もいらっしゃいました。しかし行ってみると、旧態依然としすぎてて、枚挙に暇がないくらい改善するところがてんこ盛りでした。

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 実際、水道課の先輩は事務改善をすべく、それまで手書きの検針台帳だったのを、
「ハンディターミナル」という機械に代える準備をしておられました。私は別の担当だったので、そこにはメインでは関わっていませんでした。

 ところが!その先輩がすぐに異動で別のところに行ってしまったのです。またまた電算化の仕事が私に廻ってくることになりました。

 いままでの経験で培ってきた
「業務フローの改善を伴うシステム導入」。こんな面白い仕事は役所の中でも、そうそう巡り合うことはなく、どっぷりとはまっていきました。

 今、思うと当時が一番エネルギッシュだったように思います。自分に不可能はないと思うくらい、
テングになってました。実際、職場内を駆けずり回ってシステム導入の根回しをし、検針員さんの研修をし、数万件あるデータをみんなで解析して、新システムに移行する作業は、寝る間も惜しむ感じでした。

 当時、2000年問題なるものもありました。年末年始を職場で迎えたのは、そのときが初めてで、新鮮だった記憶があります。

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 システム周辺から始めて、その部署で思いつく限りは全部改善に着手して、組織改編に伴うフロアレイアウトの変更が行われたときも、自ら手を上げて素案の作成をしたし、当時、組合役員だったので、職場集会を開いて上役さんと人員配置の交渉もしたし、今から考えるとありえないくらい動き回ってました。

 もうお腹いっぱいやって、
そろそろすることもなくなったなぁ(爆)と思った8年目に、03年、今度は介護保険に異動になりました。

 ここのことは余り思い出したくありません。主に
給付審査やケアプランと言われる介護プランのチェックの仕事なのですが、これがつくづく向いてないのです。期待されて来た割には、仕事をこなすことが出来なくて、またまたテンションが下がっていく私。

 そんなときに来た話が
「労働組合の専従」です。当時、組合で書記長という事務方の取りまとめ役をしていた私でしたが、労働組合の仕事が思いのほか面白かったので、本来の仕事の合間合間(もちろん業務時間外ですよ)に、組合活動の改善作業に着手していました。

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 当時としては画期的な
人事評価制度の導入にかかわったり、人事院勧告で初めてマイナス勧告が出たときの交渉担当者だったり、職員の駐車場料金徴収の交渉でも、温室効果ガス削減のための通勤促進策で応じるなど、思いつくままあれやらこれやら格闘していました。

 そんな突っ走りぶりが目に余ったのか、宗像市の労働組合で初めて専従役員として上部団体に派遣されることになったのでした。04年1月のことでした。

 
これが、私の人生を根本的に変えたのです。

 労働組合の専従役員というのは、会社で言う「取締役」です。与えられたミッションをこなしていれば、労働時間に拘束されることはありません。しかしそのミッションは半端じゃない量と質だった(自分にとっては)ので、ほぼ生活の全てを費やしていました。

 労働組合の仕事は、決まって
「人と人」を結びつけることがミッションの中に含まれています。いち早く情報を入手するために、いろんな人といろんな人が、その結びつきを強めるために、日夜を分かたず北へ南へ移動しながら、会合をしていました。

 それは、公務員生活にどっぷり浸かっていてはありえない仕事です。

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 このときに、私は初めて
「人と人とを結びつける」仕事がこんなに楽しいことなんだと知ったのでした。この文章のずっと前に「濃密な人間関係が面倒だ」と書いていましたよね。

 
そのときと比べたら180度、人生観が変わっています。


 さて、いよいよ社会保険労務士の話が出てきます。やっとですね。すみません。

 労働組合の専従役員は、当然ですが交渉のスペシャリストです。ところが、公務員の労働組合は、
地方公務員法や人事院規則はやたらと詳しくなりますが、労働基準法以下、基本的な労働関係法令をまったく学ばないのです。

 そんなとき、労働組合の同僚だった方が
「社会保険労務士」の資格を持っていたのです。色々と話を聞いてみると、私に足りない知識を補うには、もってこいの試験科目。

 専従役員では、絶対に勉強時間を確保することは出来ないので、役所に戻ったら
絶対に社会保険労務士の勉強をしよう。

 そう決めたのでした。

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 無事、専従期間が終わり、役所に戻ったのが05年10月でした。本来原職復帰が原則でしたが、
介護保険課での働き振りがやたら悪かったのでしょう。次の職場は農業振興課と決まりました。

 帰って見ると、そこはまさしく9時5時の世界
(と自分で決めた)

 職場の上司に了解を得て、17時が来たらダッシュで自宅に戻り、走って駅に向かい、電車に乗って博多駅前の
大栄国家試験学院に行き、授業が終わったら、近くの喫茶店で、時間が許す限り勉強。

 土日はビデオオンデマンドで終日勉強。
 学校がない平日は、ファミレスに行き、23時ごろまで勉強に没頭。

 祝日も勉強。年末年始も帰省せず勉強。もちろんゴールデンウィークも勉強。お盆は仕事で、その代わりに8月の試験前1週間に夏休みと有給休暇を充てて、朝から夜まで9日間、ぶっ続けで16時間勉強。

(もう読み飽きたという方はこちらから)

 多分、
一生で一番勉強しました。これ以上家族にも職場にも迷惑を掛けられないので、絶対に1度で合格したかった。06年11月が合格発表。自己採点では、労働基準法がやばかったのですが、何とかおかげさまで1発合格しました。

 さて、合格はしたものの、開業するかどうかは迷っていました。受験中にモチベーションを保つために、
本屋さんに行って社労士の先生が執筆した本を読んでました。それまでは社労士として開業するつもりはなかったのですが、本を読んで、

「社労士って独立開業できる資格だったんだー(超爆)」

と初めて知り、だんだんと開業したいなー、開業するんだ!と心が変わっていきました。そこから開業準備が始まりました。

 社労士の開業本を読み漁りました。開業本に共通しているのは、
「専門的な知識や経験は開業してからで十分。大事なのはいかにして顧客をつかむか」ということにつきました。

(もう読み飽きたという方はこちらから)

 そこで、私は思い切って専門分野の仕入れは開業してからと決め、開業するまでは、周辺知識の仕入れと人脈形成に費やすことにしました。

 ファイナンシャルプランナーや簿記の勉強をし、その合間に異業種交流会や起業セミナーなどを受けまくり、
ブログメルマガの執筆もそのころから始めました。社労士資格や開業を目指す同志や、SOHOの方や、異業種で起業を目指す仲間とも、そのころ知り合いました。

 一番重視したのが、
マーケティングの勉強です。入門書から専門書まで読みふけりました。それが役に立っているかどうかはこれからですが。

 そして、ついに07年12月末、家族の了解を得て開業に踏み切ることに決めたのでした。



 私がなぜ社会保険労務士を目指そうと思ったのか、それは、

自己実現のためであり、社会奉仕のためであり、そして関わった人がみな幸せになるため
です。

 ここまで読んでいただいた方ならお分かりだと思います。ベテランの社労士の先生方があまた居られる中、
なぜあなたが私を選ぶのか、なぜみなさんが私を選ぶのか、答えは全てこの文章の中にあります。

 公務員関係の法律知識と社労士スキルの融合、労使関係に特化した交渉術、そして、社労士として生き抜く覚悟に裏づけされた高いモチベーション、これが私の全てだと断言できます。

 さあ、みなさん、私といっしょに仕事をしませんか?

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 こちら
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